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あ↑の↓ね↑、はぁーやくぅ~~、パソコンつけ~ぇてよ~~ぅ。

んっ…駄目よ、ディス~プ~ぅ、レイ~がぁ逝ぃ~い~てぇ~~いる~~。

電源を…、

みっくみ~~くに押~してみる~~。

画面ん~がすぐ消えぇ~ちゃ~うから、

みっくみ~くに押~してみく~~。

それ~ぇでもすぐ、消え~ちゃ~うから、

みっくみ~くに灯ぅ~いてよね~。

今ぁ~わぁ~そおよ、5秒し~か駄目

みっくみ~くにし~てやんよ~~ぅ。

5秒か~んを繰りぃ~かぁ、えして、

みっくみ~くになぁ~あていくぅ~~。

うん♪

起動しぃ~てすぐ、消え~ちゃ~うから

みっくみ~くにれ~ん打する~。

……。

買い変えぇ~る、お、かぁぁ~~ねはなぁ~いぃ~のおぉ~~~。
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みっくみくにされたwwwwww







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分かりやすい話の続き。

まぁ、簡単に言って空気のよめなさの話なわけだが。

私は空気が読めない人間である。

それは単に、私が全く相手の事を考えていないからだ。

早い話、相手が話している最中の状態を考えていないのである。

私風に言うなら、相手が今、球体のどの部分を向けて話しているか?

という事である。



ハッキリ言って、自身、全くそんなことを考えた事も無かった。

つい数週前に姉から指摘されて自覚したのだが、どうやら相手に対する気遣いが皆無らしい。

それもそのはずで、私が会話をしている時に考えている事は、会話内容の詳細と発信源の内部構造である。

さながら、原子分子の構造を考えながら会話をする感じだ。

自分の持っているソナーの種類、及び測定レンジが限られているので、なかなか分析が捗らないし、分析できる相手に限るのである。

ついでなので話すと、私は人間が社会と言う名の雰囲気下にある、特定の分子に存在する一つの原子だと思っている。

そして、その相関関係が詳しく分かれば、人は完全に解析可能な存在であるとも思う。

所詮は巨大な、たかが分子の集まりである。

その関係する情報さえ整理できれば猿にだって理解出来てしまうだろう。

人間の体が科学で解明されている時代なのだ。
人間の心や思考すら科学で解析できる筈である。

これは、恐らく私の晩年の研究課題になるだろうと思っているが、まだまだソナーとなる人生経験が圧倒的に不足している。

それに、この問題は先人達が人生かけて解いていった、言わば未解明な問題である。

哲学の世界にはあまり詳しくないが、人間が環境によって大きく左右されるモノであるとする意見は既に一つの見方として存在する。

私はそれを最小構成単位で考える所にまで持っていきたい。

全てを否定して最後に思考する自分が残ると言う有名な考えが有るが、私は逆に全てを受け入れる事でその発信源がわかるのではないかと思うのだ。

全ての結果にはその理由が存在するという「因果」を元とするが、その観点で行けば必ず人も解析解明できる筈なのだ。

Googleの理念が「全ての情報をインデックス化する」ことならば、私の理念は「人間の全てを解析し割り切る」ことであるのかもしれない。



話が逸れまくった。

戻そう。

……えーっと、なんだったか。

(………読み返し中………)


そうそう、何で空気が読めないかという話だった。

私が相手を気遣うことが出来ない自己中心的な野郎だと言う話。

姉からは、「他人と会話するのに相手を気遣えないようじゃ終わってる。人のいないところで暮らすか、死んでしまえ」

と、真顔で溜め息混じりで放り捨てられたが、正直その意見はなかなかに堪えた。

私が話をしているつもりの相手は静止した球体である。

しかし、実際は複雑に回転や移動をしているのだから、その細部が問題ではなく高速回転している球体の、真の形ではなく見掛けの大きさが問題なのだ。

初歩的なミスだが、まさにそれが問題であった。

というか、今書きながら説明がついた。

人という球体は常に回転、振動しているという条件を付加してやれば分かる。

球体の回転や振動の具合によって、見掛けの大きさはガラリとかわる。
その回転する中心がほんの少しでも変われば、更に大きく見掛けは変わるだろう。

それを理解していなかったのだ。

いや、解析の際に情報としていたのは、無意識に何か一つの話題で固定した際の見掛けから形を想像していただけで、だからこそ多分に不確定な可能性を含んでいたわけである。

一つの点で固定した場合、球体はまだ回転できるのだ。

複数の話を分けて話した時の様子から全体像を想像、仮定していたのだから、それが曖昧にしか固定されていない会話においては何処が回転の中心になってもおかしくはなく、会話の進行に際して中心が移動するということも十分に考えられた事だ。

会話の内容でテンションが変わるのもこれで説明できる。

その時の振動や回転方向の具合から、何処で固定するかは非常に重要である。

回っている駒の側面を固定しようとすると勢いを止めてしまったり、駒が暴れてすっとんで行ったり、スルリと横に流れたりする様なものだ。

つまり、その時の回転方向、振動方向、それらをキッチリ考えることなのだ。

会話に置いて多数の球体が噛み合って回転しているのだから、その回転を理解しなければいけないのは当然である。

相手の真の形に迫るならばなおのことだ。

そして、真の形に重要性がさほど無い事も証明するのだ。

場合場合で見掛けが変わるのだから、それに対処するならば全く今までとは違ったモデルで考えなければならない。

そう、今まで前提としてきたイメージモデルがガラガラと音を立てて崩れ去り、違った新しいモデルが、

今、私の中で産まれつつある。

それは、今までの用いていた球体が、実は原子核を回る電子でしかなく、その電子の大きさに捕われていたからこそ食い違いが生じたのではないか?

ということ。

新しいモデルとは、球体は原子核となる中心を持っていて、球体はそれを中心に高速回転していた軌道の形というもの。

要するに、球体とは小さな電子の軌道に過ぎなかったのかもしれない。

そうやって見たなら、電子が一つのだけというのも不自然である。

恐らく、人間の他面性と同じだけの数の電子が多数の軌道を描きながら原子の全体像を作り上げているのだろう。



自身で何度も原子に例えて起きながら、その形に想像が行かなかったのがふしぎでならない。

これならば、馬鹿だと思っていた友人が以外にしっかりした面を見せたり、しっかりした友人が脆い面を見せたりする事にも納得が行く。

は~、そういう事だったのか。

そうすると、質量不変を唱えた事も間違いになる。

人間を表す球体が一定の質量しか持たず、何処かの皺寄せが必ず何処かに現れるというのは全く間違いになる。

短期的に見れば確にそうかもしれないが、長期的にみたら質量が増えるというのは有り得るのではないか?

あ、いやしかしそれも変形によるモノや持ち合わせていた未使用の余力を有効に変形させているという考えで十分に説明できるレベルか。

とりわけ、突き詰めた世界での片寄った性格や能力、人格と言うのは割りと目にしてきたが、あれは究極までの突き詰めで持てるものを有効活用していると考えたら、人間の産まれ持った質量の差というのは無くなってくる。

むしろ、有効活用すべき環境があったかどうかという問題なのではないか?

ふむ……、面白いので

「人間原子説」
とでも名付けようか。

……。
あれ、なんか
「恋愛原子核」
に、似た感じの名前に……。

まぁ良いや。
アホみたいに長くなったのでここら辺で止めておこう。

取り合えず、急場は新たな説、モデル図を起点に情報収集をしてイメージに具体性を塗り固めていくとする。

うーむ。

学期が始まった途端にこれだ。

さい先が良いのか、何とも言えないが、こうして頑張ってイメージを普通の人に近付けて行けば、きっと私にも社会的に適応できるはず。

よし、楽しくなってきた。
寝て起きたら
今日も頑張ろう!!
子供には無限の可能性がある。

それは、可能性というなの無知である。

無知であるからこそ可能性があるのだ。

人は、現実を一つ知る度に一つの可能性を失う。

場合によっては複数の可能性を失う。

そうやって可能性を失ったモノを大人と呼ぶ。



別の捉え方をしてみる。

人間はみな、産まれたときはツルツルの球体である。
それが何かを知ったり、何かを出来るようになると、球体が変形する。

その視点で行くと、人間は成長するごとに綺麗な球体から歪な形になっていく。

恐らく、この球体の質量は現れてから消えるまで一切変わることがなく、ただ形がぐにゃぐにゃと変形するだけ。

時には中に大きな空洞があったり、小さな穴だらけだったり、とがっていたり、その形は千差万別。

一ヶ所が硬くなって密度が上がったり、凸が出れば、その分が別の箇所で帳尻が会う様に、薄くなったり凹んだり。

そうして、人間は歪になりながら出来る事が増えていく。




こう考え、想像出来るようになってから私は人間が好きになった。

一見すると矮小に思える人でも、その視点の裏や、見えない内側には何か秘められているかもしれないという期待を持てるようになった。

多方向から相手を捉え、人の個性を3次元的に処理することで、徐々に空気が読める様になってきた。

人が接している時、私にはまるで球体がぶつかりあっている様に感じるのだ。


その映像は、頭の中で徐々に形をなしていった。

相手の情報が更新される度に、脳内で球体がぐにゃりと形を変えたり、見えなかった部分の構造が見えたりする。


いや、情報を知ったら既存のモノが更新されるのは当然だ。

しかし、私ではそれが球体として処理されているだけの話。


まぁ、だからこそ多人数の会話に入って行けないのだが……。

想像して欲しい。

複雑な形をした大きな球体がゴロゴロと転がり、ぶつかりあっている中に体一つで突っ込んで行かなければいけない場面を。

私の脳味噌では、多人数でのたあいのない会話ほど怖い。

球体の動きが読めなくなるからだ。

会話の読解力が無いのかもしれない。

恐らく、柔軟性も無いだろう。

たまに話を振られると、困る。

勢い良く突っ込んでくる球体をバックステップで避けれれば良し。
更に紙一重で触れれたなら二重丸。
悪くても少し方向を反らす程度。

最悪、強打ジャストミートでファールゾーンの場外に打ち返し、会話を止めてしまいかねない。



解決策は、適当に聞いた振りして聞き流すことだ。
これが出来れば一つ進歩できるのは分かっている。

そして、一般的にそれが正しいのも分かっている。

だが、それが出来たらこんなに苦労はしていない。

いちいち下らない思い付きの疑問を持たなければいいだけの話。



……ムリポ。
いや、まじで無理無理。

もっとソナーの種類が増えれば把握しきれるんだろうけど、いまの備付の装備じゃ処理しきれんて。


一つだけ最後に弁解させてくれ。

私な、
話を聞いてない訳じゃないんよ。
聞いてても理解できてないだけなんよ。

だから、もうちょっと手加減してからさい。

そう、5歳児を相手にすると思ってさ。


愛してるぜみんな~~。
さて、予想していたよりも現実は過酷。

私は、まだ楽に死ねない様です。



現在の状況は、崖から人差し指と中指でぶら下がっている様なモノでしょうか?

何と無く、まだ生きています。

ぎりぎりで生きています。

そして、まだ生きているからこそ、死に脅える事が出来てしまうわけです。


あー、怖い怖い。


しかし、そんな状態が嬉しくも愉しくもあるんですがね。

恐怖とか不安とか、そういうグチャグチャとした状態でこそ活きられるのが私の精神です。

ここで颯爽と生還したらカッコいいだろうなぁ。

と言う、その想いだけで体が熱く燃えてきます。

楽しいから頑張れる。

単純に楽しい。


まぁ、だいたい過去の経験から行くと、このまま落下してぺシャンコになるのですが……。




……今回こそ生還してみせる!!
みっくみっくにし~てあげる~~。

アホか。

普通すぎて面白くない。




てか、自分で自分をイジメても世間に迷惑がかかる世の中に絶望した。

優しくも甘過ぎる自分の性格に絶望した。
産まれる前より聴き続けている音。

鼓動。

ドクンッ、ドクンッ、……。

16ビートが駆け足で迫り来る。


意識が覚醒。

現実から乖離してゆく体。

それが、私のスイッチ。


徐々に感覚が侵蝕されてゆく。

本当に感覚器で得たモノなのか、脳で処理したモノなのか判らなくなる。

そして、我に帰るまでの数分、私は現実から隔離される。

私の手によって……。
糞詰まらない。

誰か俺を殺しに来ないか?


理由とかはどうでも良いから、理不尽な暴力で有無も言わない内に螺子り伏せられたい。

余りにもあっけなくて、思考すら止まり正常な判断が下せないくらいに追い詰めてくれ。

じゃないと楽しめない。
私には、帰るべき原点がある。

迷ったら、今一度そこに帰れば良い。

想いだそう。
我が原点を。

何をなしたくて生きてきたのかを……。

忘れてしまった原点。
初めの想いを。

活きると決めた帰着点。
始めの思いを。


今、迷ったら思いだそう。

先が見えなくなって、何をしているか判らなくなった時こそ。
なんか、久し振りに朝6時に起きてニュースを見ていると、

「公園の遊具で幼児が……」

というものが…。

ふと思い出すと、私も5歳の時にやったことがあったりする。

ターザンロープ。
上に滑車がついていて、ぶら下がると滑車が回り縄を伝って移動していくヤツだ。

アレの滑車に指を突っ込んで人差し指をミンチにしている。


痛かったとかいう記憶は無いが、泣きもせずに

「センセー、こんなんなっちゃった」

と、自身でもビックリしながら保育園のセンセに見せて、センセを仰天させた筈だ。

即効で病院に連れて行かれて事なきをえた。


ぐだぐた言わないが、テレビで取り上げない怪我ぐらい、案外と多かったんじゃないかと思う。




で、だwwww

今度は斧少年かwww

別に、やりたくて殺ったんじゃねぇの~?

好奇心は猫をも殺すから、親父あたりも殺せるんじゃないかと思う。

と言うか、そんなことより「ひぐらし」よ。


別に原作やったからアニメは見ちゃいねぇけど、アレにはどん引きですよ。

作品外での作者の言葉が、あれだけ醜く感じたのは初めてだよ、本当に。

日本の価値観から言って、作者が自分の作品の説明をしすぎるのはヨロシクナイ。

ひぐらし自体が「一人で思い詰めないで誰かに相談しろ」と言うテーマだったらしいが、私はとてもじゃないがそう感じなかった。

誰にも言うことが出来ず、言おうとしても悪し様に突っぱねられた事が有るなら、それが如何に困難で、自分からは出来ないことが分かるはずだ。

簡単に言って、そのテーマの上で圭一は非現実的すぎるのだ。

それがテーマなら余りにも美談すぎる、ご都合すぎる。

まるで取って付けた様なテーマなぞ蛇足以外の何物でもない。


いや、ひぐらし自体は久し振りに楽しい作品だったと思う。

しかし、最後の後書きが作品の余韻に違和感を感じさせてしまった。

人によっては興冷めしただろう。

そもそも、よくよく考えたら発売当初のホームページの煽り文句も挑戦的なモノだった気がする。

いつまで現実主義で謎を解けるか?

と言う様な。

それがテーマじゃねぇのか!?

どう考えても途中で右往左往しているじゃないか。

しかも、結局の所で非現実的な方向で終わっている。

最初から最後まで、キチンと話をまとめていないのだ。

話には必ず落ちが必要となるが、ひぐらしの落ちがなんだったのかと考えると、今まで造り上げていた作品のフラグやら伏線を殆んど回収していない事に気が付く。

みんなで力を合わせて敵をやっつけたのですよ。
にぱー。

じゃねぇよ。

キャラや設定が大きすぎて肝心の話の内容が企画倒れになっている感じがいなめない。

私のこのショボい日記ですら、毎回どうやって締め括るか悩む。

本来なら落ちが一番難しいのは分かるのだが、だからこそ放り投げる落ちと言うのはどうにも納得できない。

それを棚に上げて「うみねこ」でも同じ煽り文句を使用すると言うのは、どういう事なんでしょうね。


何か、感情が多分に混じるのでそろそろ止めておきます。

もう十分混じってますか。


取り合えす、斧で殺すなら頭じゃなくて喉を狙いましょうって事でした。

放り投げて終わる!!
部屋に引き込もりっぱなしなのも勿体無いので、秋葉原に足を運んでみた。

……今日、日曜だったね。

人が多かった。

でも、大して気にならない。
どうも感情が死んでいる様だ。

何も沸いて来ない。

いつもの巡回コースを回る。

購読している本の新刊が出ているのだが、買う気になれない。

火が完全に消えていて、むしろずぶ濡れ。

詰まらないとも感じない、
ぐるっと一回りしたところで帰ろうと駅に向かう途中、


いきなり
「そのオレンジのシャツ可愛いですね~」

見知らぬ女性に声をかけられた。

「はい?」

身長に頭一つ半の差があり、相手をエスカレーターの上から下を見下ろす様な感じで、ソレを捉えた。

白い頸。細くて握り易そうな……。

「あの、今、手相の勉強しているんですよ~」

思わず、指に力が入り、腕が女性の肩ぐらいまで持ち上がる。

(うん手相?最近流行りの筒持たせか?)

と、頭に血が巡ったころには、既に相手が一歩後退して顔を引きつらせているところだった。

「あ…失礼しました」


何故か謝られて逃げられた。

前に向き直ってから、顔が変な風に引きつっていることに気が付き、慌てて普通の笑顔に戻す。

口に溜っていた大量の唾液を飲み込む。

その後、電車の中で
(よく考えたら俺みたいなデカイやつを鴨に選ぶわけないか…。もしかしたら本当に手相の勉強だったのかもなぁ。まぁどっちにせよ間違いなく面白い突発フラグだったのに、明らかに分岐間違えたorz)

と思ったが、改めて自分の手を見て、その思いをすぐに掻き消した。

とても人様に見せられる手ではないのだ。

テンションの上がっている時ならばまず間違いなく話に乗っていただろうが、今日は生憎である。

しかも、そもそもが相手から逃げられてしまっている。

何とも勿体無い話だ。

日頃からキチンと意識していれば、ああいう突発イベントの分岐フラグは見逃さないというのに、私もまだまだ青い。





……。
そう言えば、ここ数日。
自分から話しかける以外では、誰からも声をかけられていない事に気が付いた。
ああ、満たされて行く。

理不尽に感じた、道理無き沸き立つストレスが狂う。

ああ、素晴らしい。
この暴虐なまでに荒れ狂う怒り。
何処にも放たれない、内に向けられたエネルギーは、大した物でも無いのにぐるぐるぐるぐると渦を巻き、己が尻尾に喰らい付くかの如く加速。加速加速加速。
ただただ内に潜むエネルギーが内の壁を破壊しようと加速してガリガリと内面を、その牙で削る。

抗壁を持たない内なる壁はスポンジの様に柔らかく、小さな獣のチンケな牙と爪でも十分、ズタズタに切り裂く事ができる。





ああ、気持いい。
案の定と言うか、東京の家に帰ってきた途端に引きこもりと化す自分が情無く思うよ……。

いたるところコンクリートで固められた世界では息苦しくて敵わない。

川沿いに土や緑はなく、とてもじゃないがくつろげる余裕なんて有りはしない。

ゆとり教育が必要だと感じさせてしまうのだ。

ただし、それは都心などのゆとりが無い特殊な場所でのはなし。

札幌の住宅地では普通に道路でバトミントンやサッカーをやっている小学生らしき子供達が、平日の3時過ぎには普通にそこら辺で見られたし、少し都会から離れた副都心レベルにもなれば、充分に普段の生活にゆとりが在るように感じられた。

ゆとりが必要なのは東京、名古屋、大阪くらいなモノだと思う。

それにしても、本当に東京には遊ぶところが少ない。
むしろ、自分で遊べる所が少ないと言った感じか?

遊ぼうと思うと、誰かに用意された場所で遊ばされているのだ。

堅苦しいルールがそこらじゅうに満ちていて、何も出来ないのだ。

要するに、ルールで縛らないといけないくらいに人が密集しすぎているからだろう。

これが他の所なら、在る程度の広さがある川原の土手でサッカーでも、家の合間でバトミントンでも好きに出来るし、それが迷惑にならないのである。

ギャーギャー騒ぎながら鬼ごっこなんてのもやろうと思えば出来る広さが在るところで育った身としては、人さえ集まれば何処でも遊び場になると言う感覚が肌に染み付いているのだ。

根っからの引き込もり気質な私でさえ、暇になったら近所を散歩したり公園にいったりと出歩いていた。

とにかく、窮屈なのだ。


人と人との生活する隙間を見付けるまでもなく、そもそもが誰のでもない空間ばかりであったから、子供は自由に遊ぶことが出来た。

散歩もしようと思ったモノだ。

しかし、ここらでは人の生活空間だけで全てが埋まっている様に思う。



まったく、自分の出不精を棚に上げた意見だが、実家にいた1週間弱はかなり出歩いていたと思う。

最低でも一日に片道3~5kmくらいの散歩はしていたし、片道10kmほど遠出をしたりもした。

当然、自転車か徒歩である。

車は風が無いので好きではない。



にしても、どうしたものか。

ぐちぐち言っても出不精が治るわけではない。

しかし、目的地なしに出掛けられる場所ではない。


……。自転車でも買うかなぁ。
種割れおこしたようだ。

img003.jpg



いあー、1ラウンド目のスコアが平均的な私のスコアなんですが・・・。

種が割れました。
貧すれば鈍す。

鈍すれば貧す。



人は貧困であるほど選択肢が限られて行く。

金が全てと言うわけではないが、裕福なヤツほど選択肢を選ぶ事を覚えるモノだ。

先立つものが無ければ、それに合わせた行動しかとれないことが多く、それが続くと「制限されること」に慣れるわけだ。

自分の素直な欲求を「あーだこーだ」と理由を付けて諦める事に慣れるのである。

例え貧していても、自分の欲求を我慢せず、あの手この手で満たそうとしていると自然に貧しなくなって行くのである。

良く聞く話で、金は稼げる様になったが使い道がない。
と言うことが有る。

結局、お金が何か絶対的なモノに考えていると使えなくなってしまうのだ。

金は飽くまで道具に過ぎない。

使いたいモノがあったら稼げば良いし、使う為に稼ぐのである。

心の貧した者は、金のために簡単に大切なモノを売り渡す。

一等大切な物は自分である。

金は後から着いてくるモノなのだ。

仕事をするのに見合うだけの価値が仕事自体に無くてはならないのである。

仕事がやりたくて、楽しくてやっていたら金がいつの間にか溜っていた。

それぐらいの気でなくては「金に使われる」事になる。

結局、そういうことの積み重ねが質の低い人間を作り出してゆくのだ。

自分という資本を失った者の時間の値段は非情に安いのだ。

「なんで、こんなに安い金で長時間労働しているんだろ」と言った愚痴は間違いなく自分の時間が安い事を暴露しているようなモノだ。

むしろ「こんなに働いていて疲れて安月給だけど楽しくてしょうがない」と笑って言えるのが、富むと言うことではなかろうか?



って言うのは建前。

カニ…うまww

ホタテ……うまぁwww

ウニ………うぉまぁぁwwwwww


北海道は良いねぇ。
自分は鋭利な刃物であると思っていた時期があった。

心も体も鋭利な刃物と化して、眼前に立ちはだかる敵を貫くべく研ぎ澄まされた一本の刃。



だが、全くもってそんなことはなかった。
鋭利だと思っていたのは、歪な形をしたナニカだった。

鋭利な豆腐よりも、丸い鉄球の方が遥かに破壊力があるのだ。

そもそも、豆腐では鋭利な形すら維持出来ないのだが……。


ふと思い返すと、今の自分はいったい何処へ向かって、何を目指して生きているのだろうか。

純粋に鋭利さを求めていたあの頃の方がよっぽど活きていた。

その更に昔は本当に歪な、剣山の様だった。

今や、随分と丸くなったモノである。

相手を殺し殺される想像をしなければ距離がはかれなかった頃が懐かしい。

大学に入ってからは友人知人をぶっ殺していない事に、今更ながら気が付いた。


死んでしまえと思っていたヤツが本当に事故で死んでしまった時、その時の昂奮といったら葬式の最中に息子が暴れだす程だった。

親しい人ほど良く殺す。殺される。
むしろ死なないかと期待する。

親兄弟は勿論のこと、片想いの相手や親友なんてのは週一回は殺す妄想をしていた。

わざわざ好きな子の隣に座ってその子に殺し殺される妄想に耽っていた。



そんな情熱は一体全体、何処に消えてしまったのだろう。

一つ目的を見付けると、寝る間も惜しんでいた勢いは何処に忘れてきてしまったのだろうか。

人がこうして、大切なモノを失いながら大人になっていく生き物ならば、私は猿で良い。

馬鹿の一つ覚え、一つだけでも何か物になるのならソレで十分だ。

そして、今週も温泉へ。



今日は「石狩・番屋の宿」

泉質は、ナトリウム塩化物強塩泉(高張性弱アルカリ性温泉)

pHは7,38

1kg中に
ナトリウムが8252mg、
塩素が13070mg



かなり良い温泉。


しかし

たけぇよ。



まぁ、良い温泉なんだがなぁ……。

見晴らしも良いし、サウナに水風呂も有るし、風呂も広いし。


片道30分程度で着いてしまう近場。

うん。

気持よかった。
南米、原産、ハマキでびゅ~ん。

すぱー。

(^○^)

ああ、やっぱハマキは良いねぇ。

煙草と違って心が潤いますな。
ああ、ヤンデレヤンデレ。

まぁ、理解者も少ないと思いますが……。

ヤンデレについて軽く語ります。
ヤンデレを簡単にいうと、「相手が好き過ぎて病んでしまった」子を言います。

まぁ、私も同じ理由で軽く病んだ事が有りますが、一旦この状態になると長いこと生活に支障がでます。
最悪、死傷がでます。
私の場合は相手に向かずに自傷行為の方向に行ってくれたので社会的には問題ありませんでしたし、生活への支障もそこまで大きく…………。

あれ、どうだったっけ?

まぁこれ、「病む」と言うように一種の精神病ですから、モラルが通じない世界なわけです。

相手が直接的な暴力行為に出た場合は、こちらも暴力行為で打って返さなければなりません。

相手との会話で理解しあう事が一番の治療になるわけです。

と言うか、本当に一番の解決策は相手と同じレベルで対する事でしょうか?

相手が理論武装できたなら理論武装で。
相手が物理攻撃できたなら物理攻撃で。
相手が精神攻撃できたなら精神攻撃で。

相手よりも一段上の狂気、異常で臨めば必ず道は開かれます。

怖い…。

と思ったら脂肪フラグです。

相手が自分を怖いと思わせる事が大切です。

そして、そこからは一気に畳み掛けて思考する暇を与えてはいけません。

相手は末期の妄想に取り付かれているので、冷静に考えさせるとよりいっそうレベルの高いヤンデレになって帰ってきます。

ぶっちゃけ、逃げたら死にます。

殺す気で立ち向かうと良いでしょう。

所詮は狂気に取り付かれた理性のぶっ飛んだ子なので、真っ向から立ち向かって打ち倒し、拘束して身動きがとれないようにしてやりましょう。

あとは頑張って相手の心を解き放ってあげましょう。

取り合えず、体に教え込んでおけばいいんでない?
虐待経験から来る病みだった場合は逆効果だけど、そこら辺は巧みな話術で聞き出してから解消の糸口を見付けてください。

まぁ、本当に怖いのは刃物よりもスタンガンなので気を付けて。

監禁されるなら死を選ぶくらいの狂気を持たないとやっていけませんよ。

実際に私も、どうやって殺さないで確保するかという事ばかり考えていましたから。

ヤンデレと対峙するときには命がけの喧嘩だと思えば良いでしょう。
当然、ルールはありません。

如何に相手よりも一枚上のレベルでダーティな手を使うか。

相手が素手なら刃物を。

相手が刃物をもったら鈍器を。

相手が鈍器を持ったら火器を。

相手が火器を持ったら重火器を。

相手が自分の命を賭けたら人質を。



ってか、いかん……。

またゲームに引きずられている。

現実に帰還せねば。
「人を呪わば穴二つ」

と言う諺がある。

コレは、全てにおいて言えることであろう。

何でこんな事をいうかというと、簡単な話がドラマの影響である。

昨晩に親父が見ていたドラマを、数ヵ月ぶりに見たのだが、全くもって不愉快であった。

大抵は恋愛においても何においてもそうだが、自分が誰か他者に与えようとするモノは全て等しく自分が欲するモノである。

では、他者に求めるモノは自分が与えたいモノであると言えるのだろうか?

これもまた言えるだろう。

例外は有って、親子愛というようなものが有る。
これは直接自分が相手から与えられるのではなく、別の誰かから与えられたモノを別の誰かに与える行為に思える。

これは、自分が与えられた事のないモノは他者には与えられないという原則からなっている。

要するに、常にギブアンドテイクが成立している。

人間関係において互いが求めるものが共通であることはまず少ない。

例えば、aはBというモノが欲しいと思っていて、bはBを持っていて与えられる。
bはAというモノが欲しくて、aはAというモノを持っていて与えられる。

この場合、両者にギブアンドテイクの関係が発生して関係が安定する。

しかし、人間関係はそんなに簡単なものではない。

aがbに対してαを与えようとしたり、γを求めたりして、ギブアンドテイクのバランスが崩れると同時に関係が崩れる。

これが、多種多様な要素のギブアンドテイクによって釣り合いが取れて初めて人間関係の成立と言える。

しかしこれも難しい話しで、物事には常に作用と反作用が存在する。

与えるという行為は他者からみれば+だが、本人から見れば-の行為であり、欲するというのはその逆である。

bが例えBを持っていたとしても、それがaに与えられるだけ余っていなければならず、aが求めるBよりも差が有りすぎてはならないのだ。


さて、ここで最初の諺だ。

人を呪わば……、と言うのは欲するとも与えるとも取れる。


本来は呪うと言う非道な行為を行う事で、その非道な行為を容認すると言う意味合いだ。

諺の本来の意味はどうあれ、呪う本人は相手に求めるでも与えるでもどちらでも構わないが、それを意識した段階で余剰と不足と言う不安な状態に晒されると言う事である。

そして、それを意識したが最後。
それまでは意識していなかったことが明確になって判明してしまうのだ。

まぁ、人間は勘違いというやつを多分にするので「あれ、物凄く甘いものが食べたかった気がしたけど……、実際に食ってみたらそんなんでも無かったなぁ」
なんてことがある。

しかし、既にそこには封が切られたアイスクリームが数個並んでいるかもしれないのだ。

そういうときはどうするか?

誰か食いたいヤツにくれてしまえば良いのだ。

「俺いらないや」
「あ、じゃあ僕か食べるよ」

てな具合い。



で、だ。

いざ渡した相手がアイスを食おうとしているのを見ると、途端(今度は本当に)甘いものが食べたくなる。




なんか人間って、結局は勘違いと無いものネダリの人生よねぇ。

あー、いやだいやだ。

俺、一抜けた~。

何でもいい。
シンジ君に萌えたのは初めてだった。




すげぇよ。



私は車だった。

いや、私という車に乗っている私だったか?

兎に角、私と私の車は道を走っていた。

壮快だった。

風を切って走る。

気持ちいい。

だが、ふと気が付いた。

私の車には1速が無い。

良く良く見ると2,5速からしかない。

もっと良く見てみると、それは普通自動車ではなくて自動二輪車だった。

あっれー!

おっかしいなぁ?

何で俺、バイクに乗ってるんだろう?
俺は人間をやめる!!
人間、何か不満が有ったとしても他人から助けて貰えることなんて、それこそ漫画や小説の中で見られるくらいなもので、実際に自分が助けてもらえるなんて有り得る話ではない。

自分でなんとかするか、もしくは妥協して諦めるかのどちらかだ。

にも拘らず、私は未だに誰かから助けて貰うことを、どこか心の片隅で諦めずに待っている気がしてならない。

生きていることが辛くはなくなったが、それだとしても……、活きる目的を急に持てと言わてもそんなわけにはいかない。

だからこそ、何か活きれる目的を見付けたいのだが見付からないわけだ。

自分の欠点を知った上で、それを克服しようとするのは容易な話ではない。
それに、克服することと社会的に生きる事を両立しなければいけないのだから更に厳しくなってくる。

先日、自分の欠点だと思っていたモノが自分の想像よりもかなり重傷であることを思い知らされた。

内心、このまま何とか騙し騙しでも世界と接していけるのではないかと思っていたが、どうやらそれすらも危ういらしい。

かといって、その重症な欠点を治す事は不可能だろう。

いや、やってやれないレベルではないのだ。

本気で努力したならそこまで難解な問題ではない。

ただ、治そうとしたならば今の私はいなくなる。

他人から比べればほんの些細な事だろうが、その些細な事が出来ないだけの話。
別に肉体的欠陥があるとか、生活環境が悪いとか、そういった現在進行形の話ではない。

脳に物理的欠陥がある可能性は昔から有ったらしいのだが、それは現実逃避だとしておこう。
何故なら、その選択肢は先に繋がらないからだ。

この問題を根本から解決するためには時間とキャパシティを消費せねばならない。

欠点の原因は何処に有るのかが分からないくらい古くからのモノだ。

私という精神がその欠点の上に成り立っていると言っても過言ではない。

複雑な事が出来ないのはしょうがないと笑える。しかし簡単な事が出来ないのは笑うことが出来ない。

何故なら、複雑な事は簡単な事で応用が利くが、簡単な事は複雑な事で応用が利かないからだ。

実害はそこまで大きくない。

私にソレが出来ない事を知ってくれればソチラで簡単に対応が出来るレベルだ。

しかしそれは私が欠陥品のままだということ。

それでは駄目だ。
欠陥は埋めなくてはならない。

しかし埋めるためには私が死ななくてはならない。

だから、最低限に社会的生活ができるくらいには耐久力のある蓋をしなければならない。

助けとは、正にソレだ。
私の蓋となる人に助けが欲しいのだ。

蓋は鋼鉄で出来た硬度が10もあるようなものである必要はない。

知人に、その穴を埋めることに精一杯になっているヤツがいたが、それは本末転倒であるように思える。

価値観の違いも有るだろうが、私にはそれは酷く歪に見える。

欠点をメリットに変える事が大切であって、穴を塞ぐ事に全力投球するのはいかがなものだろうか?

穴は適当に蓋をしておけばいい。
それ以上は必要されていないのだから。

まぁ、その蓋をすることですら容易では無いのだから困ったものだが。


まぁとにかく良くは分からないが、頑張るしかねぇよな。

些細な事だ。

何とかなるさ。

失敗しまくって、損をしまくって、それでも幸せで有ればそれで十全。




ブレーキの壊れた車は進む。

どうやっても止まれない。

自分を傷付け、他人を傷付け……。

それでも止まる事は出来ない。

アクセルを踏み続ける事は危険だし、





何より恐れるのは山の下り道。
旨い寿司食った。

美味かった。

以上。
はい。

と言うわけで温泉に来ております。

今回は1泊での泊まりがけ。

場所はお馴染の登別です。

今回のホテルは少しばかり普通のホテルとは違うらしいです。

ホテルに着いてチェックインを済ませ部屋に入ると、まあ、ありきたりな和室。

しかし、これはちぃとばかし広い。
姉と二人で寝る部屋にしては広すぎるんじゃありませんかねぇ。

修学旅行ならば8人は寝られるはず。

数えると12畳。
それに加えソファーが置かれた5畳程度の空間も有ります。

うーむ。

なんとも無駄に広い。

家族4人で1部屋でも十分だったんじゃねぇのか?

まぁ、大は小を兼ねます。この程度なら許容内でしょう。



少しくつろいでいると夕飯の時間になったので一階に降ります。

親父曰く、ここは一度倒産したホテルで、それを買収した所が食事に力を入れた事でプチ有名になったとか。

かなり気合いの入ったフランス料理を食べさてくれました。

メニューも、キチンと味の濃さやペース配分が考えられており、一品一品に工夫がこらされていました。

若いズッキーニの花にホタテのムースを入れて焼いたモノや、軽く酢で漬けた蕪と甘エビなど。

デザートは、濃く苦いカフェ味アイスの回りを焼いたバニラアイスで包み、皿の縁に山椒の粉末をまぶして香り付けしていました。

なかなか洒落ています。

週末の土日とあって30代前半のOLと思われる5人組が楽しそうに談笑していました。

まぁ、これだけの飯が出るにも拘らず、部屋は完全に和室のソレなのは、単純に繁盛しているからでしょう。

もう何年かしたら部屋の方も改装されるかもしれません。

因みに、このホテルの泉質は塩化物泉と硫黄泉。

硫黄泉の方は湯の花が出すぎで浴槽の下に沈殿した硫黄泥が溜っていてヌルヌル。

温度は出ていませんでしたが、恐らく38~39度ぐらい。

サウナや水風呂などが無いのは残念ですが、そこは泉質が良いのでいいとしましょう。

夜中の11時、2時、5時、7時と4回程入ってくたくたになりました。

いやー、星が綺麗だ。

山の合間にあるので周囲は真っ暗。

2等星まで見えると大したモノです。
なかなか景観としてはヨロシイのではないでしょうか?

それにしても、深夜に貸し切り状態の温泉でくつろぎながら星を眺めていると、気持が良いですねぇ。

外の気温は18度くらいで風が適度に微風。

上半身を湯から出して手酌でビールを飲む。

本当は駄目なんでしょうが、誰もいないのでwww

体が冷えてきたら、また湯に浸って温まる。
熱くなったら半身を出す。

これを交互に繰り返しつつチビチビとビールを飲む。

……私、一応は今年で21の青年ですが趣味嗜好は完全におっさんのソレです。

まぁ、いいじゃないか。

どうせ東京に戻れば、非生活的で狂って汚れた灰色の砂漠を干からびながら這い回る暮らしが待っているのですし。

人間が人間として生きるために必要な最低限の何かが欠けたあの街は、私がこうしている間にも悲しい歯車を産み出して回し続けているのでしょう。

まぁ、狂った世界には狂った生活があり、しかしそれが大きすぎるが故に気付かない振りができてしまう。

何ともセチガライですねぇ。

札幌がそうでは無いのかと言われたら、少なくともそこまで狂ってはいないでしょう。

交通法規はかなり狂っていますが……。


で、まぁグダグダと飲んだくれていたら朝食の時間となりました。

……。

メニューは……。

・オレンジジュース、牛乳、絞ったパインジュースのパインシャーベット入り。

・8種類の薬味がそえられたお粥。

・ミズナと白金豚のハム。

・クッキー詰め合わせ。


てなかんじ。
やっぱり、部屋、飯、風呂の順で重要度が高いですね。

うむ。

まあ、今回はそんな感じでした。
力無く倒れた先は地面。
顔に濡れた土と泥水がかかり、ヌロリと舐めてくる。
背中からコートが雨を弾くポツポツと言う音が聞こえてくるが、全身から精気が抜けてしまったように動かそうと言う気が沸かなかった。

気合いを入れて動こうと思えばまだ、いくばくかの余力は残されているのだろうが、『諦め』という名の毒が全身に回り体外に大切だったものを放出している。
差し詰め、この降り注ぐ雨が体から熱を奪っているように。
思考すらも放棄し、生ける屍となって泥の中に沈溺していく。
現実にそんなことは無いのだが、体が溶けて地面に吸い込まれ、泥水と混ざり拡散して行く感覚。
そう言えば、息をすることを忘れていた。
ほんの少し口の上を開き、思い付いては肺の換気を行う。
死のうと思うなら息をする必要も無いのだが、生存本能というやつが勝手に、やはり思い付いたように呼吸を求める。

腹が減っていた。

最後に口にモノを入れたのはいつだったか……。
まあ、今も閉じた口に泥が入って来ているわけだが。

ああ、腹が減った。

兎に角腹が減った。
腹の虫も無くことを辞めて久しい。

ブロロロロ

ズシャァ

ザチュッ

ズチャッ

パシャッ

パシャッパシャッパシャッ
ズチュ

と、ズッと背中のコートがずらされた。
風とは違う、摘まれて引っ張られた様な力のかかりかただ。

「うわっ、人!?」

背後から声がした。

何で人が?

良く分からないが、人は人だろう。
別に人だろうが動物だろうが声を出すことに変わりはないし。

すぐ近くを歩き回る音が聞こえたあと、急に両の足首が掴まれた。
引きずられて行く。
よく分からないが、頬がぬるぬるぬめぬめ。
鼻に泥が入っては堪らないので顎だけ起こして顔を上げる。

「おい、大丈夫か!?」

生きてるか?
返事をしろ!
とか、何か慌てた風に騒ぐ音が聴こえてくるのだが、これといって何も思い付かない。
ただ何と無く腕を挙げて手をハタハタと振ってやった。
大サービスである。

「うわわああ!!」

駄目だ。今ので限界だった。
掴んで持ち上げられていた足が振り落とされ、反動で腕も落ちて泥に埋まる。
辛うじて上げていた首も力が緩み、泥水に豪快なヘッドバットを決めてしまう。

「お、おい! まて、死ぬな!! 俺が殺人犯!? いや、それは違う!! なんだ、何がどうなってる!?」

一際大きな音が響いて来たが、もうどうでも良かった。
私の知ったこっちゃねぇよ。

ああ、眠い。
腹が減ったぁ。


……。
…………。


目が覚めた。

体を動かそうとすると、両手足が何かで拘束されているらしく動かせない。
背中の感触からして上等なベッドの上。
瞼を開けたのだが、何かで視界を覆われていて真っ暗。
声を出そうと声帯を震わせたが、口からは、ウーウーと言うくぐもった音しか漏れない。
そう言えば、起きた時から口が開きっぱなしで何か布の様なモノが詰め込まれている。

これは……、どういう状況だろうか?

2度3度と手足を動かしてみるが、ベッド自体に固定されている様で全然ビクともしない。

……疲れるので諦めた。
幸い、この場所は暖かい。
雨もかからず、濡れていた体も乾いている。
喉も不思議と渇いていない。
だがお腹は依然として減っていた。

ああ、何か食べたいなぁ。

起床12時間で乳酸が溜り始める。

当然のことではあるのだが、足が重い。

起きたのが2330過ぎだから、コレを学校がある日に代えると、起床0730の帰宅後1930に相当するわけだ。これでは眠いのも頷ける。

ああ、眠い。



ところで、ふと思ったのだが、私は不器用(?)である。
モノの本には、不器用な人は錐の様に鋭くなる必要があると書かれていた。

以前の昔の私ならば、鋭利な刃物の如き気持で生きていたのだが、現在の私にはそれが皆無ともいって良いだろう。

それだけ器用に生きているのか、それとも鋭く生きるだけの志を失っているのか……。

ともかく、心も体もナマクラになっているのは間違い無いのである。

昔はどうしてあんなに必死だったのか思い出すと答えはあっさりと出た。

単純な話、自分が嫌いで毎日の様に噴出するストレスに狂わされていたからだろう。

追い詰めて追い詰めて、それでもなお逃げていたからだ。

現実から逃げるにせよ、必死で逃げていたのだと思う。

だからこそ、逃げることに特化したのだ。

目の前の現実から必死で逃げるのだから、当然の如く逃げた先で必死なのだ。

毎日が必死だったわけではないが、毎日の様に必死だった気がする。

気のせいかもしれない。
まぁ、過去は美化されるものだ。

まぁ、なんだかんだで今より狂っていたのは事実だ。

今の私では鋭い刃物をイメージすることが出来ない。
世界を、不満俗な物として納得してしまったからだろうか?
ストレスが沸かないのだ。

不満を流して満足を忘れ、押し付けられる型もなくして、自分を保たずとも善しとしているからだろう。

周囲の圧力に対して斜め後ろから刺し殺そうとしていた、割箸に付いている爪楊枝が過去の私。


今の私はハミ出したハンバーガーソースである。

外圧が希薄になった途端に自己を見失い、形を保つこともままならないゲル状の謎物質が私である。

鋭いなんて口が裂けても言えない代物だ。

そう、覚悟が足りなかったのだ。
孤独を受け入れよ。
私は昔から理解されない生き物だ。
どうあがいたところで、家族以外には理解されない生き物だ。

以前はワザワザ理解させようなんて面倒臭い真似をする前に引きずりおとして、堕落する様を眺めて楽しんでいたじゃないか。

そう、周りに人がいて孤独。
会話を重ねる事に孤独が深まり、その溝の深さを知る。

一体いつから仲間がいるなんて思い違いをしたのだか。

孤独に狂うことが出来ない程に弱くなったのか……。




ああ、そうか、そういうことか。
要するに、家族がいなくて寂しい寂しい言って縮こまっているだけなのだ。

依存の強さが分かろうモノだ。
3年暮らして未だに東京の自室は、ただの食って寝る空間でしかないのだ。


狂ったの何だの口では言っておいて、元に戻る事が出来る場所、安心できる場所が有ったからこそ鋭利な気持でいられたのか……。

東京で鋭利になれば、ずっと鋭利なままである。
長続きしないのも当然のこと、息を抜く場所が無いのだ。

簡単な話、あの家では気は休まらない。
ここと違って、一人の空間でくつろげる程、器がでかい人間ではないのだ。

全く難儀な話である。

あの部屋に有るものは全てが、東京での今まで全てが、

『簡単に切り捨てる事が出来てしまう』モノしか無いのだ。

そう。

その気持だ。

その傲慢さが足りなかったのだ。

我儘さを忘れて器用に生きようとしたツケが出ているに過ぎないじゃないか。

大学に入ったからって急に物分かりが良くなるわけでなし、その本質を忘れて似合わない生活を送れば当然ツケが回ってくるさ。

好きなことをやればいい。

周りの意見なんざ参考にはしても自身の得手よりも優先させることなんてなかった筈だ。

人間関係なんて、そんなに大切なものだったか?

最低限の意志疎通が出来るようになってしまったのがそもそも良くない。

熱中していることと、それ以外。

そういう篩分けでいいじゃないか。

切り捨てれる事が多いのだから、いっそ割り切っておもいっきり不器用に活きれば良いのだ。

ぐだぐだ細かいことを悩んでも試用がないのだ。

なるようにしかならんものな。

何で東京の家であんなにくすぶるかって、そんなのは当然のことだ。

なぜなら、あの家は大学に行って帰ってきて寝るためだけの部屋だもの。

大学に行かない時間を過ごす用途に住んでいるわけじゃない。

家自体が『帰ってくる』ための場所。

その使用外はサポートの範囲であるはずが無い。

そんなものはとっくの昔も数千年前から分かっていたことである。

実家だろうがなんだろうがそこは変わらない不変の真理だ。

1週間も部屋に引き込もっていれば誰だって鬱気味にもならぁな。

金がかかろうが何しようが出歩いて疲れて帰ってくるに越した事は無いのか。

OKOK!!

理解した。

まず、全てを捨ててしまおう。
東京のゴミ溜めで築いた糞以下な関係を全て断ち切ろう。

そうして、金も時間も気にせず、好きなことをやりたいだけやれば良いのだ。

フヒヒヒヒ。

程度やレベルの低い大人ぶった器用な間抜けどもに気兼する必要なんざ初めから何処にも有りはしなかった。

奴らと私じゃ活きてる次元が違うもの。

いつの間にか同じ次元でウダウダやってたのか。

全くもって無駄な時間を過ごしたモノだ。

まぁ、それがわかったダケでもほんの少しは価値が有ったと思うことにしよう。

ありがとうよ、みんな。

だからもうお前らは用済みだwww

精々、せちがらい世の中をヒーヒー苦しみながら流されて下さいな。

んっし、やる気出てきた!

これだけでご飯3杯はいけるねwww

無理だけどwww

取り合えず、家には帰らない。
知人は全て切り棄てる。

自分も他人も物にまで格下げして、心機一転遊び直そうじゃないか!!
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