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知ると言うことの反対は知らないと言うこと。

確かにそうだ。そうではある。

だが、しかし、だ。

仮に知らなくとも、結果的に知っていたのと同じ事になる場合が多々ある。

そして、知ってはいても知らないのと同じ事になる場合も多々ある。








つまりは・・・・・・知っていると言うことは大切であるが、しかしそれだけでしかない。

本当に重要なのは、それを活用出来るか否かということに他ならない。
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なんだろう、なぜだろう。

あれだろう。それだろう。
あれだあれ。それだそれ。

あれはあれだからあれなんだ。
それはそれだからそれなんだ。





さっぱりちっとも分からない。

でも別に、分かる必要なんて無いのかもしれない。

だって、分からなくたって回るもんは回るし、回らないモノは回らない。


だけど多分、必要なんだろう。
回そうとしたら。

そういう分かるってことが。



まぁ、だとしてもだ。

どうでも良いんだよ。そんなこと。

だって、初めから分かってるんだもん。

ただ、ぐちゃぐちゃ頭でっかちになって考えるから良くない。

分かるものも分からなくなる。

分かっていたことが分け分かんなくなる。






世の中、そんなに、難しいことなんてない。

無意識で分かってるんならそれで良い。

意識して分かろうとしたってダメなもんもあるんだ。

人は何も持たずに、おぎゃぁと産まれてくる。

産まれた瞬間、最初におぎゃぁと泣いて全てを手に入れる。

そっから一つ一つ確かにしていって、同時に一つ一つ失ってゆく。



難しいことはない。

ただそれだけ。

意味だの意義だの道理だの、そんなのは全部余計なモノ。

得ることに耐えられない、失うことに耐えられないからグダグダと波打って見せてるだけ。

水は水。コップはコップ。
それは変わらない。







まぁ、加熱してドリップすりゃぁコーヒーにもなれるかもしれないがね。

それはもう、水じゃあないのさ。



ちなみに、俺はカフェモカとか大好きよ?
常識と非常識

普通と異常

正しいことと間違ったこと。

区別しなけりゃ両方他人事だけど、自分事になってしまえば両方が区別無く敵になる。

自分を守る正当化が出来なくなる。





自分の中の可能性という妄想に縛られて身動きが取れなくなり、現実を素直に受け入れられなくなる。

感受性が豊かだと言えば聞こえは良いが、度が過ぎれば妄想癖の現実逃避。

情報を多く取り入れれたとしても、その情報を整理して取捨できなければ意味がない。




まして、自分が手にした情報を疑うなんて愚の骨頂。

自分が手に入れれなかった情報を考えるなんて無駄の極み。

手にしたモノで世界を見る。

その目の前にある現実を直視する。







言葉にしたら簡単だ。
その病は単純明快。


ただ一つ。
「自分に自信が無い」


ただ、それだけ。

強い圧力。
強い感情。
強い力を借りなけりゃ、自身で動くことが出来ない。

何故ならば自信が無いのは、自分を諦めているからだ。










そう、解ってさえいても・・・・・・。

自信を持つことが怖い。
自分を諦めないことが怖い。


怖い。
辛い。
苦しい。
憎い。












静かな闇に・・・・・・呑まれる。心地よく。
歪んじまった哀しみに、夜露抱えて空を見る。

歪んじまった底の音に、耳を背けど逃げられぬ。

歪んじまった悦びに、何を注げば満たされる。

歪んじまった刃筋には、何で叩けば伸びるのか。




それでも人だと、月に胸張る。
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