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ってか、糞暑過ぎんだよ!!
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人間って矛盾してて泥臭い生物だから、そこが描かれない作品はやっぱり軽い。


しかし、軽いからこそのライトノベルであって、軽いことでのメリットは十分にある。
と言うか、今の時代はその軽さを求めている。

二次創作はそんな作品の二次であるから、一層増して軽くなるのはしょうがないんじゃねぇかなぁ。

戦後からこっち、日本はオタク文化以外の文化の質が落ち続けている様に感じる。
しかしそれが日本の歴史から見た正しい国民性。
ネットを介した掲示板文化やコミュニティ文化の形成を意味し、20年後にはテレビやネットが普及したのと同じ要領でコミュニティ文化が普及してるだろうさ。その頃には世帯へのネット普及率が100%近くなっているだろうしね。
それがネット社会にどっぷり漬かったオレ達若い世代が社会を担うってことで、循環の必然の上で起こること。
人間の質と技術が反比例して加速してんじゃなくて、ただ世代交代の上で進化と衰退を繰り返す、自然の生物的な摂理なんだよ。



二次創作の文化ってのも、コミケの歴史を見れば分かることだけど、漸くネット社会の普及がブレイクスルーとなって爆発的に若い世代へと広がっている。

既に40代にまでオタク文化の存在が既知になっていて、30代には触れたことのある人がちらほらいて、20代では何らかのオタクトークが酒の席での話題に頻出するほど周知のモノ。

そんな大人を見て真似る10代はオタク文化を当然のモノとして育つだろうから、むしろネットやコミュニティサイトの存在を知らない10代の方が稀少になっているだろうさ。
小学生でも多くが携帯を持つ時代なんだ。
自動的にそうなる。

俺が40代になったとき、糞真面目で優秀な若い奴の口から、

「え、先輩・・・・・・二次創作知らないんすか!? 今じゃ常識ってか日本人のたしなみですよ!?」

なんて言われる日が来るのかもしれない。
日本人、総「作者」時代の到来で、第3次世界大戦の引き金が引かれるかもしれない。

既に日本のオタク文化は世界を侵食しつつある。規制や関税や、侵食範囲は一定でリミットがかかって来るだろうが、現状を見るに間違いなく侵略と呼べるであろう。
ネットで世界が繋がることで、日本人に多い「病気」が世界に感染していくのだ。



我々が60代になった頃、孫が、
「お前、まだROM専なのかよwww 消費者なんて生産性のない屑とは付き合いたくねーよなぁ」
「こんなROM専部屋から蹴っちまえよ。鍵部屋作って「創作」しようぜぇ」

なんて、学校であるにも関わらずチャット部屋で会話するのが当たり前になっていたり、実は網膜投影の電脳世界的なヴァーチャルスクールが常識になっていたりするかもしれない。

そして、そんな苛められている孫にどんな言葉をかけられるのだろうか?

と言うか、会社では網膜投影の電脳会議が続々と採用されはじめ、音声の自動文章化で書類作成速度はワードプロセッサの普及によるブレイクスルーと同様の加速と効率化を遂げていたりするだろう。
まして、我々よりもマルチタスクに特化した脳構造に物理的に進化していても不思議ではない。

攻殻では無いにしろ、半電脳状態である。
当然、日本のオタク文化はそのフォーマットにいち早く適応してみせるだろうが。

子供の頃に夢見たヴァーチャルリアリティー的なゲームに、定年後に散々耽り、孫に「じいちゃんスゲー!!」と言われたい。
修羅場の数日前だと言うのに全く準備に手が付かず、山本周五郎、藤沢周平、池波正太郎、浅田次郎なんかを読み耽る。やはり良い。所詮は趣味か、私の執筆ペースは携帯で1時間あたり2千文字と言ったところ。パソコンだと量は5倍に増えるが、その分だけ質が落ちる遅筆振りである。

ちなみに「神が降りてきた」というトランス状態での話である。乗れない場面では当然ペースが落ちるし、そこから修正や推敲に入るのだから時間はいくらあっても足りない。増して、創作の原動力が本業からの逃避エネルギーであるから、趣味は所詮趣味なのである。

ちなみに、ツイートやブログ更新の際には1回か2回の見直しで投稿してしまっており、書きながら修正しているとは言え文量は半分以下に落ち込む。
再度日を置いて見直すと酷い文章だったりするのは当然。話の流れや構成自体が破綻していたり、脇道に反れて戻ってきていなかったりは茶飯事である。



本当に、やればやるほど小説家の皆さんには頭が下がる思いである。
狂気が足らん。恐怖を感じないのは生物として終わっている。常に恐怖と向き合ってスリルを得続けないと脳が壊死してゆく感覚に支配され、心が蝕まれて行く。安全安心の上で弛んで行く自分にヘドが出るし、そう言う時ほど弱く腐って病んでいく。危機感を感じなくなったらおしまいだ。趣味ですら真剣にやらないと脳が弛んだ時から悪循環が始まる。理想は一本の日本刀。ここ数年、毎日では無いにしろ振り続けてきた日本刀。こいつは模造刀で刃はついていないけれど、それでも形だけは刀なんだ。

今の私が持つに相応しい代物じゃないか。



まだ、何者も斬り殺すことの出来ないナマクラ故に、いつか本物の刀に成りたいと願い続けて行きたい。例え叶わなくとも。

まぁ、最近正座で仕事することも多いわけです。


体重が100kgもあるせいか、椅子でも胡座でも長時間は腰が痛くなる。そこで最終的に行き着くのが「正座で背筋を伸ばす」という形だ。足は痺れるけど、腰の痛みの方が遥かに尾を引き辛い。結局、骨格に最適なのは古い伝統的形であるから面白い。まぁ、鬱血する前に休憩を入れるのが丁度良いしね。



座布団を間に挟んで楽をしていますがwww

そして押し入れ。
上から、冬用布団セット。
中段に洗濯物と靴下。
下段に冬服と掃除機。

中段の右には布団を仕舞えるスペースが有るけど、基本は畳むだけで仕舞いませんね。


まぁ、そんな感じで暮らしております。
たまにはブログらしく自室公開。
フロアは9、5畳で押し入れとクローゼット別。半畳の畳を6枚敷いてます。
布団を敷いて寝る日々。机は備え付けのモノと、以前の部屋から持ってきた机を併せていますね。
奇跡的に突き出した備え付け本棚と高さがジャストフィットしたという素敵さ。
冬場の収納を考えて小型の扇風機ですが、なかなか可愛い。
トータルカラーは緑で、無ければ青で妥協。目に優しい環境です。
日本人の骨格に合った歩き方と言うものがある。俗に言う難波式だ。映画に出てくるチンピラの様な歩き方ではない。

肩から骨盤までを一枚の板とし、鉛直に立てる様な歩法である。足、膝、腰、背、肘を気持ち余裕を持って曲げた状態で歩くのだ。

ヘルニアなどで慢性的な腰痛持ちの母に口酸っぱく指導したところ、かなり改善したとの報告があった。

多くの人の歩き方を見てきたが、基本的に皆、接地の際に踵からドスンとやっている様に思う。この歩き方は傾斜のある山道などでこそ良いのだが、平坦でコンクリート舗装された道では疲れやすいと言えるだろう。

と言うのも、接地の際に踵からであると、その衝撃が直接腰にまで響くのである。せっかちな日本人の事だから、早足で歩く人も多いのではなかろうかと思うが、それこそ腰に来ると言える。

ちなみに、踵でドスドスと歩くのは人間くらいなモノで、殆んどの陸上哺乳類は踵を使わずに歩いている。

犬や猫を見て貰えれば分かるが、彼らの踵は接地する様な場所には存在していないのだ。


じゃあ平坦な道ではどうしたら良いのかというと、難波式で歩けとはさすがに言わない。
まぁ、肩と腰がクロスする捻れで歩くのを、上半身が捻れないように極力注意するのは良いかもしれないが。

具体的には、腰を前に出す感じで進み、足指の付け根で接地し、踵は地に触れても体重を掛けないままで歩くと良い。最初は1センチくらい浮かせる気持ちで良いだろう。
頭がなるべく上下しない様に心掛ければ尚善しである。
立ち止まる時は踵に体重を乗せても良いが、歩くときは使わないよう心掛ける。

最初は辛いかもしれないが、1ヶ月で慣れるものだ。騙されたと思って試して欲しい。
職場の国籍が、中国、韓国、ドイツ、アメリカ、タイ、各1人づつに日本7という編成。実は会話する際に一番困るのが日常会話だったりする。学術的な単語や言い回しは学ばねば仕事にならんから分からないという事は少ない。対して、日常的なモノはサッパリで、日々、英語での説明に四苦八苦している。

まぁ、カタコトの英語でも相手が読解してくれる。そこは言語。カタコトの日本語を私達が汲み取ろうとするのと変わらないだろう。しかし、英語を聞き取り、読める様になるのは酷く早いのであるが、日本語を読め、聞ける様になるのは難しいらしい。
現実100倍段の法則。やはり生・現実がいい。どんなに架空のモノを見たり読んだところで、架空は架空なのである。だからこそ、架空の物語は激しく過酷でなければ成り立たないのだろう。それは噂話やテレビなどの伝聞でも同じことで、結局は自分の体験に勝る質感は無いのである。攻殻機動隊の電脳世界が渇望される理由がそこに有るのだ。
大脳新皮質。脳のシワという奴は、人間の理性を司る部分と言われている。逆に小脳などは動物的本能を司る部分だ。基本的に頸椎に近いモノ程本能的な役割を持ち、離れるに従って理性的な役割を持っていると考えて良い。故に、精神的な衝撃を受けた際には後頭部へガツンと来るのである。

そうと知っていたわけではないのだろうが、古来からの表現にも関わらず科学的な合理性を持った文章を見ると、書き手の表現力に感嘆せずにはいられないのだった。

なればこそ、やはり、後頭部へガツンと来る作品こそ真の名作と言うに相応しいのだろう。しかし、現実でもそう言った体験はなかなか出来るモノでは無いから、人は仮想の世界にソレを求めるのかも知れない。
春から、心機一転して山の麓に引っ越してきた。
もう少しで4ヶ月になるところだが、此処は東京と比べて非常に生き物の鼓動に溢れている。

新しくも古くもないアパート自体には申し分無いのだ。間取りは以前よりも広いにも関わらず、家賃は4割である。ただ、想像以上に生命に溢れ過ぎている感は否めない。

田畑は蛙や夏虫の合唱でうるさいくらいだし、つい数週前には蛍がソウルストリームな感じで闇夜のダンスと洒落込んでいた。本当にお洒落な奴らなのだが、気位が高いのか人里にはあまり顔を出さない様だ。それも今週に入ってからは毎晩の社交ダンスに疲れてしまったのか見掛けなくなった。

彼らと入れ替わりで顔を見せ始めたのが蝉だろうか。夕方にはヒグラシがカナカナ鳴いている。まったく性が出ることで、人間と違って泣き喚くのは全て雄だそうだから、その鳴き声も私の神経を苛立てる事しかしない害虫である。お前達は早く死ねばいい。

そう言えばどうでも良いことだが、山を越えると雛見沢に着くんだったか。今度の休日にでも車を走らせてみようか。

1ヶ月くらい前から、通路では蛙がピョン吉の真似をしてへばりついており、流行っているのか日に日に数が増えている。まぁジッと見詰めても返事が無い・・・・・・屍の様だ。というか干物である。

常夜灯だとか外灯に集う背筋を凍らせる恐ろしげな邪気眼オーラと見間違う程の蛾や羽虫達は、日中に井戸端会議を開く「検閲」どもの様だし、その集会所を間違えたのか網戸を難なく越えて我が居住を侵す蟲には一辺の容赦なく除虫菊の対魔香で冥土へお帰り願っている。

一度、夜中に煩い蚊を撃滅すべく3本同時に炊き蒸してやったら、蚊どころか私まで冥土へ送られそうになってからは、半分に折るなどして自粛しているが・・・・・・。この匂いは夏の匂いだ。決して中毒性など無いはずである。

さて、そんな現在の居住地であるからして、蜘蛛なんぞも当然の如く其処ら中に「ここ、俺の家!」と言わんばかりの勢いでいる。
それはもう至るところにいる。
そして毎朝玄関を開ければ
「夜中に頑張っちゃいました! えへっ」
これである。

今朝なんぞ、
「貴方って素敵! だから私のお家を作らせて貰っても良いわよね? うん、じゃあ私、すっごいの作っちゃうから♪」
これである。

私の鼻穴に住むのは止めてくれ。あと、顔中が糸だらけって、惚れるのは構わんがお前と交尾はしてやれん。

そういうわけで、酷い。
道を歩いていたら体に糸がまとわり付かない日は無いのだから、蜘蛛に好かれているだろう。
いや、可愛い女の子の下腹から飛び出した白くてネバネバした物なのだから考えようによっては・・・・・・。
無理である。

銀河の中心で暗黒の巣を張り巡らせ、今尚拡張工事に余念が無いお方ならば潔くこの身を捧げようとも思うが、私の親指程の大きさも無い君たちに欲情してはロリコンの謗りに甘んじる他無いのだ。

私は成熟した大人の女性が好きだから、あと数百年後に力ずくで落とせる様になってから出直してくれるのなら、きっと私もクラッときて間違いを犯してしまうかもしれないが、今はまだ駄目である。

人種差別や選民意識、民族紛争が未だに残るのが人間という種族なのだ。まして君は蜘蛛。生物学的にも遥かに離れてしまっている私達では越えなければならないハードルが、それでなくともエベレストよりも険しく待ち構えている。

何より、突っ込める穴が無い。


そんなことを真剣に、一瞬考えつつ外に逃がしてやる。
ベランダでは、私と同じく春から新居を構え、つい先月の頭に出産と子離れを済ませた若奥様が網にかかった蛾を啜るのに夢中だった。

愛くるしい粒羅な複眼が朝露の如く清みきった光を反射し、思わず「今日もお綺麗ですね」と声をかけてしまうのは無理もないことだろう。

どうやら食事風景を見られたことが恥ずかしかったのか、蚕の繭の様になった自室へ隠れてしまった。
何と初々しい仕草だろうか。

これは、以前によくつるんでいた愛すべき馬鹿野郎どもが幼妻への思いを熱く語っていた時に、冷淡に扱き下ろして嘲り笑った事を謝罪せねばならないだろう。
ああ、確かに幼妻を男達の熱き血潮で汚し尽くしたいと思う。
それでも朝御飯を放さないのは日本人独特の勿体無い精神であろうか。恥ずかしがりながらも器用に部屋へ引き摺り込むその逞しい精神には尊敬の念が絶えない。

幼くても必死に背伸びをして頑張っている様は、友人の愛すべき馬鹿野郎どもに見習わせたいくらいだ。
新居の改築も一段落したようで、既に直径1m程にまでなっている。本当に、友人どもに見習わせたい。せめて家を改築するくらいの暇はあるはずだ。

「いや、申し訳無い。ごゆっくりと。っと、ついでだから失礼するよ」
と言って、煙草とマッチを懐から取り出す。
彼女達には申し訳無いのだが私は愛煙家なのだ。室内でプカプカとやっては壁にヤニが着いて取れなくなる以上、ベランダは唯一の憩いのスペースであるからして、如何に紳士的な私であろうとも此処で呑まねば途方に暮れてしまう。
発狂してしまっても私は一向に構わないだろう的なネロネロになってしまう。

「や、本当、申し訳無いね」
申し訳無い申し訳無いと謝りながらも、やはり起き抜けの一服は格別に旨い。
心肺機能のヨロシクない彼女達だから、もし一緒になることがあれば煙草は真っ先に断たねばないだろう。
また一つ越えなければならない壁が見つかってしまった事に落胆しつつ、宙に煙を漂わせる。
「良い朝だ」


煙草を堪能して部屋に戻り大窓を閉めると同時だろうか。
目線を上げると、まさに幼妻を唾液まみれにしたイケメン雀が飛び立つ瞬間であった。
これが寝取られ。
NTRか。

「早起きは3文の特」とは一体誰が言ったのだろうか。
「早起きは3属性の特」の間違いではなかろうか。
と、深く首を傾げざるをえない朝がそこには有った。








・気がついたら書き上げていた。何が起こったかry。

・SAN値がガリガリ削れていく音が聞こえる。

・いと・・・・・・うま・・・・・・。

・想像を絶する最低系・・・・・・。
断パソコン宣言。パソコンが有れば文章を読み、何か愚にもつかないことを書いている。非常によろしくない。時間を無駄に消費し、逃避に走っているのは明白だ。山に入り、テレビを捨て、世俗と断たれているかと思いきやパソコンとネット、携帯さえ有れば周囲が森だろうが構わない様だ。

余りにも生産的で無いコレは、無理にでも強制する他に道が無い。と言うわけで、仕事場にパソコンを置いてきた。これでどうしようも無いかと思いきや、現在携帯でカキカキしている。しかし携帯を封印するわけにもいかない。本当にどうしようもないな。こりゃ。
鬱は脳が破壊されてっから覚悟しとけよー。

常識や倫理なんて生温い、脳内麻薬の過剰放出。

感覚がや無意識がどんどん壊れていく。
自覚した時には常道じゃ修正効かなくなってるだろうさ。
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